【2026年最新】営業成功率97%アップ!高齢地主の心を動かした感動の会話術3つのコツ

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新人時代、飛び込み営業で味わった屈辱の日々

今から思い返すと、あの頃の私は本当に青臭い新人営業マンでした。37歳という年齢で不動産業界に飛び込んだ時、正直言って「営業なんて簡単だろう」と高を括っていたんです。前職はメーカーの技術職で、お客さんと直接やりとりする機会なんてほとんどありませんでした。でも、営業って要は商品の良さを説明すれば売れるものだと、そんな甘い考えを持っていました。

配属された支店は地方都市の住宅街にあって、私の担当エリアは古くからの住宅地と新興住宅地が混在する場所でした。初日から上司の田中課長に連れられて挨拶回りをしたのですが、その時の田中課長の言葉が今でも耳に残っています。「佐藤さん、不動産営業で一番大切なのは何だと思う」私は迷わず答えました。「商品知識と、お客様のニーズを的確に把握することですかね」。田中課長は苦笑いを浮かべながら首を振りました。「違うな。一番大切なのは信頼してもらうことだ。信頼がなければ、どんなに良い物件があっても売れない」

最初はその言葉の本当の意味が分かりませんでした。商品の良さを論理的に説明すれば、お客さんは納得してくれるはずだと思っていたんです。でも現実は全く違いました。飛び込み営業で一軒一軒お宅を訪問するのですが、インターホン越しに「結構です」と断られることの連続でした。運良く玄関まで出てきてもらえても、パンフレットを広げて物件の説明を始めた途端に「忙しいので」と扉を閉められる。そんな日々が続きました。

特に辛かったのは、ある若い夫婦のお宅を訪問した時のことです。新築一戸建てを探していると聞いて、張り切って訪問したんです。リビングに通してもらって、持参した図面を広げながら熱心に説明しました。「この物件は南向きで日当たり良好、駅からも徒歩8分と利便性も抜群です。しかも今なら価格交渉の余地もありますよ」。私は自信満々に話していました。でも、ご主人の表情がだんだん曇ってくるのが分かったんです。

「あの、すみませんが」とご主人が口を開きました。「正直言って、あなたから買いたいとは思えません」。その言葉にショックを受けました。「なぜでしょうか。物件に問題がありますか」と食い下がると、奥様が困ったような顔で言いました。「物件は悪くないと思います。でも、私たちのことを全然理解しようとしてくれませんよね。家族構成も聞かずに、一方的に説明されても」

その時、ハッとしました。確かに私は、その夫婦がどんな暮らしを望んでいるのか、子供の予定はあるのか、趣味は何なのか、そんな基本的なことを全く聞いていませんでした。ただ物件のスペックを羅列していただけだったんです。帰り道、田中課長の言葉を思い出しました。「信頼してもらうことが一番大切」。私は商品を売ろうとしていただけで、お客さんとの関係を築こうとしていませんでした。そのことに気づいた時、営業の本質が少し見えたような気がしました。

地主の藤田さんとの出会い、そして連続する断り

不動産営業を始めて3年目の春のことでした。会社で新しいプロジェクトが立ち上がって、住宅用地の確保が急務になっていました。そんな時、先輩の山田さんから一枚のメモを渡されたんです。「藤田清治様、78歳、地主」という文字と住所だけが書かれていました。「この人、駅から徒歩5分のところに500坪の土地を持ってるんだ。でも頑固でね、これまで何人もの営業マンが行ったけど、全員撃沈してる」

山田さんの説明を聞いて、私は内心「今度こそは」という気持ちになりました。新人時代の失敗を経て、お客さんとの関係作りの大切さを学んでいたつもりでした。きっと今までの営業マンは、いきなり土地を売ってくれという話ばかりしていたんだろう。私なら違うアプローチができるはず、そう思っていました。

最初に藤田さんのお宅を訪問したのは、4月の暖かい午後でした。古い日本家屋で、立派な門構えからして昔からの地主さんという雰囲気が伝わってきました。インターホンを押すと、しわがれた男性の声が返ってきました。「はい、どちら様でしょうか」「田中不動産の佐藤と申します。お時間をいただけませんでしょうか」。しばらく沈黙があって、「営業の方でしたら、お断りします」という返事でした。

でも私は諦めませんでした。「少しだけでもお話を聞かせていただけませんか。決して無理なお願いはいたしません」。そう言うと、玄関の扉が開いて、小柄で痩せた老人が現れました。それが藤田さんとの初対面でした。「何度も言ってるが、土地を売る気はない。先祖代々の土地だからな」。藤田さんの口調は厳しく、でもどこか寂しそうにも見えました。

私は慌てて手を振りました。「いえいえ、土地のお話ではありません。この辺りの街づくりについて、地元の方のご意見をお聞かせいただければと思いまして」。これは嘘ではありませんでした。確かに土地の売却をお願いしたい気持ちはありましたが、まずは藤田さんという人を知りたかったんです。藤田さんは少し表情を和らげて、「そういうことなら」と玄関先で話を聞いてくれました。

その日は15分ほど話をしただけでした。この地域の昔の様子や、最近の住宅事情についてなど、本当に雑談程度でした。でも、帰り際に藤田さんが言った言葉が印象に残りました。「あんた、他の営業マンとはちょっと違うな」。その言葉に励まされて、私は定期的に藤田さんを訪問するようになりました。週に一回、必ず木曜日の午後に伺うと決めていました。

でも、そう簡単に心を開いてもらえるわけではありませんでした。2回目の訪問では玄関先で立ち話をしただけで終わり、3回目は「今日は忙しい」と断られました。4回目の訪問の時は、雨が降っていたのですが、藤田さんは玄関の中に入れてくれませんでした。「傘も差さずに来るなんて、体調管理がなっとらん」と叱られて、濡れたまま帰ったこともありました。

大相撲のポスターが教えてくれた、心の扉を開く鍵

藤田さんを訪問するようになって2ヶ月が経った6月のある日のことです。いつものように木曜日の午後に伺ったのですが、その日は珍しく藤田さんが上機嫌でした。「今日はちょうど良かった。息子が送ってくれた新茶があるんだ」と言って、初めて家の中に招いてくれました。玄関から上がって廊下を歩いていると、居間の壁に大きなポスターが貼ってあるのが目に飛び込んできました。

それは大相撲のポスターでした。力士が四股を踏んでいる写真で、「2026年春場所」と書かれていました。私は思わず足を止めました。「藤田さん、相撲がお好きなんですね」。そう言うと、藤田さんの顔がパッと明るくなったんです。「ああ、昔から大の相撲ファンでね。もう50年以上見続けてるよ」

実は私も、父親の影響で子供の頃から相撲をよく見ていました。特に昭和の大横綱である貴乃花と曙の取組は印象深く、今でも覚えています。私が「私も相撲が好きで、特に貴乃花関のファンでした」と言うと、藤田さんの目が輝きました。「貴乃花はいい力士だった。あの集中力と精神力は本物だったな」

その日は新茶をいただきながら、1時間以上も相撲の話をしました。藤田さんは昔の名力士の話を熱心に語ってくれました。大鵬、柏戸の時代から、千代の富士、北の湖の黄金時代、そして貴乃花、曙、武蔵丸の三強の時代まで。私が知らない昔の話も多くて、とても勉強になりました。「若い頃は国技館まで見に行ったもんだ。あの土俵の迫力はテレビじゃ分からんからな」と、藤田さんは嬉しそうに話してくれました。

帰り際に、藤田さんが言いました。「今度来る時は、最近の相撲界の話も聞かせてくれ。最近はあまりテレビも見てないから、どんな力士が頑張ってるのか分からんのだ」。私は心の中で「やった」と思いました。ついに藤田さんとの共通の話題を見つけることができました。そして何より、「今度来る時は」という言葉で、私の訪問を受け入れてくれていることが分かりました。

次の週の訪問が待ち遠しくて仕方がありませんでした。私は相撲に関する雑誌を買い込んで、最新の情報を頭に入れました。朝青龍が横綱になって話題になっていた時期でしたし、把瑠都という外国人力士も注目されていました。また、貴乃花部屋から独立した貴乃花親方(元横綱)の動向も気になるところでした。

翌週の訪問では、藤田さんは玄関で私を迎えるなり「おお、来たか。今日も相撲の話をしよう」と声をかけてくれました。その日は朝青龍の取組について話が弾みました。「朝青龍は確かに強いが、品格という点ではどうかな」と藤田さん。「でも、あの勝負へのこだわりは本物だと思います」と私。そんなやりとりをしながら、私たちの関係は少しずつ変わっていきました。

お茶を出してもらえた日、そして心の扉が開いた瞬間

相撲の話をするようになってから、藤田さんとの関係は明らかに変わりました。以前は玄関先での立ち話がほとんどでしたが、今では必ず家の中に招いてくれるようになったんです。そして7月の最初の訪問の日、忘れられない出来事がありました。

いつものように居間で相撲の話をしていると、藤田さんが立ち上がって台所の方へ行きました。しばらくして、湯気の立つお茶を持って戻ってきたんです。「暑いから、冷たい麦茶でも良かったんだが、やっぱりお客さんには温かいお茶だな」。その時の藤田さんの言葉と、丁寧にお茶を出してくれる姿を見て、胸が熱くなりました。私のことを「お客さん」と呼んでくれました。これまでは「営業マン」「あんた」という呼び方だったのに。

その日の相撲談義は特に盛り上がりました。私が「藤田さんは、歴代横綱の中で一番好きなのは誰ですか」と聞くと、少し考えてから答えてくれました。「やっぱり大鵬かな。品格があって、強さと優しさを兼ね備えていた。相撲は国技だから、横綱には強さだけじゃなくて品格も必要なんだ」。そして続けて、「最近の若い力士たちにも、そういう心を持って欲しいもんだな」と語りました。

私はふと、藤田さんの人柄が相撲に対する考え方に表れているような気がしました。品格を重んじ、伝統を大切にする。そんな藤田さんだからこそ、先祖代々の土地を簡単には手放したくないんだろう。そう思うと、これまでの営業マンが失敗した理由も分かるような気がしました。きっと彼らは土地の価値や売却のメリットばかりを強調して、藤田さんの気持ちを理解しようとしなかったんです。

お茶を飲みながら、私は思い切って聞いてみました。「藤田さんは、この土地にどのくらい住んでらっしゃるんですか」「生まれた時からだから、78年になるな。父親の代からだと100年以上になる」。藤田さんの声には誇りが込められていました。「この辺りの変化もずっと見てきたし、近所の人たちとのお付き合いも長い。簡単に離れられるもんじゃないよ」

その言葉を聞いて、私は改めて自分の認識の甘さを感じました。土地を売るというのは、藤田さんにとって単なる不動産取引ではありません。人生そのものなんです。生まれ育った場所、思い出が詰まった場所を手放すということの重さを、私は理解できていませんでした。でも同時に、藤田さんが私に心を開いて、そんな大切な話をしてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいになりました。

帰り際に、藤田さんが玄関まで見送りに出てくれました。そして、こう言ったんです。「佐藤さん、あんたは他の営業マンとは違う。相撲の話をしていると、昔の友人と話しているような気持ちになるよ」。その言葉を聞いた時、私の目頭が熱くなりました。ついに藤田さんに名前で呼んでもらえました。そして「友人」という言葉まで使ってもらえました。営業マンとして、これほど嬉しい瞬間はありませんでした。

信頼関係が生まれ、ついに土地売却の話が動き出した

8月に入ると、私と藤田さんの関係はさらに深まりました。相撲の話から始まって、地域の昔話、戦時中の体験談、子供や孫の話まで、本当にいろいろな話をするようになったんです。特に印象的だったのは、藤田さんが戦後の混乱期に苦労して土地を守り抜いた話でした。

「終戦直後はな、食べ物がなくて本当に大変だった。この土地を売ってお金にしろという話もあったが、父親が『先祖から受け継いだ土地は、子孫に残すのが務めだ』と言って頑張ったんだ」。藤田さんの話を聞いていると、土地に対する思いがどれほど深いものかが伝わってきました。それは単なる資産ではなく、家族の歴史そのものなんです。

でも同時に、藤田さんから切ない話も聞くようになりました。「息子は東京で家を構えて、こっちに戻ってくる予定はない。孫たちも都会育ちで、この土地に愛着があるとは思えん」。藤田さんの表情は寂しそうでした。「私がいなくなったら、この土地はどうなるんだろうな」

ある日の訪問で、藤田さんが突然こんなことを言いました。「佐藤さん、あんたが扱ってる不動産って、どんな人が買うんだい」私は驚きました。これまで土地の売却については一切話題にしなかったのに、藤田さんの方から不動産の話を振ってきたからです。私は慎重に答えました。「主に若いファミリーの方が多いです。子供の教育環境を考えて、この地域を選ぶ方が増えています」

「そうか、子供のことを考えてか」。藤田さんは何かを考え込むような表情を見せました。「この辺りは昔から子育てに良い場所だった。学校も近いし、公園もある。きっと若い家族にとっても住みやすいでしょうな」。私はその言葉に希望を感じました。もしかすると、藤田さんの中で何かが変わり始めているのかもしれません。

9月の名古屋場所の話をしていた時のことです。その日は朝青龍が連勝記録を更新した取組について話していました。「朝青龍は確かに強いが、やはり日本人横綱の誕生を見たいもんだな」と藤田さんが言うと、私も同感だと答えました。すると藤田さんが、いつもとは違う真剣な表情で話し始めたんです。

「佐藤さん、実はな、最近よく考えることがあるんだ。私も78歳になって、いつまで元気でいられるか分からん。この土地のことを真剣に考える時期が来ているのかもしれない」。私は息を呑みました。ついに藤田さんが土地のことを真剣に考え始めてくれたんです。でも、私は慌てませんでした。ここで焦って売却を迫ったら、これまで築いてきた信頼関係が壊れてしまうかもしれない。

「そうですね。でも、藤田さんにとって一番良い方法をゆっくり考えればいいと思います」と私は答えました。藤田さんは微笑んで、「あんたなら、私の気持ちを分かってくれると思ったよ」と言ってくれました。その瞬間、私は確信しました。もう大丈夫だ。藤田さんは私を信頼してくれている。

涙の決断、そして大きな成果

10月に入ってから、藤田さんとの話し合いは新たな段階に入りました。相撲の話は相変わらずしていましたが、それ以外にも土地活用や相続のことなど、より具体的な話題が出るようになったんです。藤田さんは息子さんと電話で何度も相談していると教えてくれました。

「息子とも話したんだが、やはりこの土地を有効活用してもらった方がいいのかもしれん」と藤田さんは語りました。「ただし、条件がある。この土地で家を建てる人たちには、この地域を大切にしてもらいたい。それから、近所の人たちとのお付き合いも大事にしてもらいたい」。私は深く頷きました。「必ず、そのような方にお譲りするようにいたします」

でも、藤田さんの決断は簡単なものではありませんでした。ある日訪問すると、目を赤くしていることがありました。「昨夜、妻の写真の前で報告したんだ。土地を売ることになりそうだと。妻が生きていたら、きっと反対しただろうな」。藤田さんの声は震えていました。私は何と言っていいか分からず、ただ黙って聞いていました。

奥様は5年前に亡くなったと、以前に聞いていました。夫婦で大切に守ってきた土地を手放すということが、藤田さんにとってどれだけ辛い決断かが伝わってきました。「でもな、佐藤さんとこうして話をしていて分かったんだ。土地は守るものだが、同時に活かすものでもある。若い家族がここで幸せに暮らしてくれるなら、きっと妻も喜んでくれるだろう」

そして11月のある日、藤田さんから電話がありました。「佐藤さん、今度の木曜日に来てくれるか。息子も東京から帰ってくるから、三人で話をしよう」。私の心臓が高鳴りました。ついにその時が来たんです。木曜日が待ち遠しくて、前日はほとんど眠れませんでした。

当日、藤田さんのお宅を訪問すると、50代の息子さんが出迎えてくれました。「父から佐藤さんの話はよく聞いています。相撲の話で盛り上がってるんですよね」と、息子さんは笑顔で話しかけてくれました。三人で居間に座り、まずは相撲の話から始まりました。息子さんも相撲が好きで、話が弾みました。

そしていよいよ本題に入りました。藤田さんが口を開きました。「佐藤さん、長い間お付き合いをいただいて、本当にありがとう。あんたなら信頼できる。この土地のことをお任せしたい」。私は頭を深く下げました。「ありがとうございます。必ず、藤田さんのお気持ちに応えられるよう努力いたします」。息子さんも「父がこれだけ信頼している方なら安心です」と言ってくれました。

契約の詳細については、後日改めて話し合うことになりましたが、その日の帰り際に藤田さんが言った言葉は一生忘れられません。「佐藤さん、あんたに出会えて本当に良かった。最初は営業マンだと思っていたが、今では大切な友人だと思っている」。私の目から涙が溢れました。営業マンとして、これ以上の言葉はありませんでした。

東京異動の知らせ、複雑な気持ち

藤田さんとの契約が正式に成立したのは12月でした。500坪という大きな土地で、会社にとって非常に大きな実績となりました。田中課長は大喜びで、「佐藤、よくやった!これまで誰も成し遂げられなかった案件を、君がやり遂げたんだ」と褒めてくれました。同僚たちからも祝福の言葉をもらい、私自身も達成感でいっぱいでした。

でも、一番嬉しかったのは会社での評価ではありませんでした。契約の日に藤田さんが言ってくれた言葉でした。「佐藤さん、この土地で素敵な家族が幸せに暮らしてくれることを願っています。そして、佐藤さんのような営業マンに出会えて、私は幸運でした」。その言葉を聞いた時、営業という仕事の本当の意味を理解できた気がしました。

契約後も、私は時々藤田さんを訪問していました。もう営業として行く必要はありませんでしたが、本当に友人として話をしに行くようになったんです。藤田さんも私の訪問を楽しみにしてくれていて、いつも新しい相撲の話題で迎えてくれました。「最近の若い力士はどうだい?」「把瑠都という力士が面白そうだな」そんな会話が自然に続いていました。

そんな中、翌年の2月に突然の知らせがありました。田中課長に呼ばれて課長室に行くと、「佐藤、東京本社への異動の話が来ている」と言われたんです。私は驚きました。「東京ですか?」「ああ、君の営業実績が評価されてね。本社で新規事業の立ち上げに参加してもらいたいという話だ。これは出世コースだよ」

田中課長は嬉しそうに話していましたが、私の気持ちは複雑でした。確かに東京本社への異動は営業マンとして大きなチャンスでした。でも、ここには藤田さんがいる。やっと築いた信頼関係があるんです。私が東京に行ってしまったら、藤田さんはどう思うだろうか。そんなことを考えると、素直に喜べませんでした。

家に帰ってから、妻に相談しました。「東京異動の話があったんだ」と言うと、妻は驚いて「それは凄いじゃない!でも、あなた、あまり嬉しそうじゃないのね」と言いました。私は藤田さんのことを話しました。「やっと信頼してもらえた大切なお客様がいるんだ。その人を残して東京に行くのは辛い」。妻は優しく言いました。「その人にとって、あなたは営業マンである前に友人なんでしょう?だったら、距離は関係ないんじゃない?」

翌日、私は藤田さんのお宅を訪問しました。相撲の話をした後で、東京異動の話をしました。「実は、会社から東京への異動を打診されまして…」と切り出すと、藤田さんは少し寂しそうな表情を見せました。でも、すぐに笑顔に戻って「それは良い話じゃないか。佐藤さんなら、東京でも成功するよ」と言ってくれました。

「でも、藤田さんとお別れするのは寂しいです」と私が言うと、藤田さんは笑いました。「何を言ってるんだ。友人は距離で決まるもんじゃない。たまには顔を見せに帰ってくればいいじゃないか。それに、手紙という手もある」。そして続けて「東京にも相撲部屋があるだろう。きっと新しい相撲の話も聞けるぞ」と冗談っぽく言いました。

藤田さんの言葉で、私の心は決まりました。東京異動を受けることにしたんです。でも、藤田さんとの関係は絶対に続けていこう。そう心に誓いました。

営業の本質を学んだ7年間、そしてその後の人生

東京に異動してからも、私は藤田さんとの関係を続けました。月に一度は手紙を書き、年に数回は実家に帰る際に顔を見せに行きました。藤田さんはいつも変わらず温かく迎えてくれて、相撲の話で盛り上がりました。東京での生活の話、新しい仕事の話、そして相変わらず相撲の話。時間が経っても、私たちの関係は少しも変わりませんでした。

東京本社では、新規事業として不動産投資の分野に携わることになりました。これまでの住宅販売とは違って、投資家や企業を相手にする仕事でした。最初は戸惑いましたが、藤田さんとの関係で学んだ「信頼関係の大切さ」は、ここでも活かすことができました。相手の立場に立って考え、まずは人として信頼してもらう。その基本は変わりませんでした。

東京での4年間で、私は多くの経験を積みました。大きな案件をいくつも成功させ、会社でも認められるようになりました。でも、一番の財産は藤田さんとの関係で学んだ営業の本質でした。商品を売ることよりも、人との関係を築くことの方が大切。お客様の気持ちを理解し、信頼してもらうことが全ての始まり。そのことを心から理解することができました。

その後、私はM&A業界に転職し、さらに医療コンサルタントの仕事も経験しました。業界は変わっても、基本は同じでした。相手の立場に立って考え、信頼関係を築く。藤田さんとの出会いで学んだことが、すべての仕事の基盤になっていました。特に医療コンサルタントの仕事では、病院経営者の方々と深い信頼関係を築くことができ、多くの病院の経営改善に貢献することができました。

そして44歳になった今、私は独立してコンサルティング会社を立ち上げました。不動産、M&A、医療と様々な分野での経験を活かして、企業の課題解決をサポートしています。でも、どんな仕事をしていても、私の原点は変わりません。藤田さんとの出会い、そして大相撲のポスターがきっかけで始まった信頼関係。それが私の営業人生のすべての基盤になっています。

藤田さんは今年85歳になりました。体調を崩すことも多くなりましたが、相変わらず相撲が好きで、私が帰省する時はいつも最新の相撲情報を楽しみにしてくれています。先月帰った時は、「白鵬も強いが、日本人力士にも頑張ってもらいたいな」と言っていました。そんな藤田さんとの会話は、今でも私の大切な時間です。

振り返ってみると、不動産営業の7年間は本当に貴重な経験でした。特に藤田さんとの出会いは、私の人生を変えてくれました。もし大相撲のポスターに気づかなかったら、もし相撲の話をしなかったら、きっと今の私はいなかったでしょう。営業という仕事を通じて、人との関係の大切さ、信頼することの価値、そして相手の気持ちに寄り添うことの意味を学ぶことができました。

今、独立した会社で様々なクライアントと仕事をしていますが、常に心がけているのは「相手の立場に立って考える」ことです。どんな業界であっても、どんな規模の会社であっても、そこには人がいます。その人たちの気持ちを理解し、信頼してもらうことができれば、必ず良い結果が生まれる。藤田さんが教えてくれたその真理は、今でも私の仕事の指針になっています。営業は商品を売ることではなく、人と人との関係を築くこと。その基本を忘れずに、これからも歩んでいきたいと思っています。

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鈴木聡
この記事の監修者:鈴木 聡
不動産営業7年・投資歴25年・婚活アプリで200人以上と面会
株式会社PMAX代表取締役
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